狗不理包子

このページは、中国の食べ物を紹介していきます。

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更新日:
 2012年2月22日



◎狗不理包子(ゴウブリパオズ)
 天津の肉まん。

 日本では、「天津」と言えば「天津飯」とか、「天津甘栗」とかを思い浮かべるかもしれませんが、中国では、天津で最も有名な名物と言えば「肉まん」なのだそうです。中国には「天津に行って狗不理包子を食べなければ、天津に行ったことにならない」とまで言われているのだそうです。ここで「包子」というのが、日本で言うところの「肉まん」のことです。そして、「狗不理包子」というのが、有名な肉まんのお店の名前なのです。
 「狗不理」の「狗」とは中国語で「犬」のことで、「狗不理」とは「犬もかまわない」という意味になるそうです。すなわち「犬も食わない」という意味に解釈され、食品を売る店には似つかわしくないように思えます。このような店名になり、また有名になったのには、次のような逸話があるそうです。
 清朝の時代、天津郊外の武清県楊村に高貴有という少年が住んでいたそうです。彼は小さい時から意地っ張りで、一度機嫌を損ねたら9頭の牛が引っ張っても梃子でも動かないという頑固な性格だったそうです。ある日、高少年は癇癪を起こし、父親が何を言っても全く言う事を聞かなかったそうです。母親が怒鳴っても、諌めても、全く相手にしなかったため、母親も呆れて「お前の強情張りは犬も相手にしないよ!」と嘆いたそうです。このような話から、高少年は、「狗不理」というあだ名で呼ばれていたそうです。
 その高少年が14歳になった時、父親は村の中で何か問題を起こしてはいけないと心配し、天津に行かせて何か技術を身につけさせようと考えたそうです。天津に着くと、劉という人の肉まん屋が店員を募集していたそうです。そこで、高少年は劉肉まん店で働くことになったそうです。
 劉さんの肉まん店は運河の脇にあり、運河で生活する船乗りや船員を相手に、小さい規模ながらも繁盛していたそうです。高少年は意地っ張りでしたが、一生懸命働き、店長や先輩の料理人達からもかわいがられたようです。
 3年が過ぎ、高貴有は包子作りの全ての技に精通したので、独立して包子店を開くことにしたそうです。包子作りの腕が確かで、怠けることなく真面目に働いたため、高貴有の作った包子はとても美味しく、あっという間に評判が広がったそうです。そんな中、人々は彼をあだ名の「狗不理」と呼び、彼が作った包子も「狗不理包子」と呼ぶようになったそうです。その結果、このような変わった名前が定着し、天津で有名な店になってしまったそうです。有名になるにつれて「狗不理」という名が食品店の名前としては相応しくないと思い、「徳聚号」という立派な店名に改めたそうですが、人々は「狗不理」と呼び続けたそうです。
 当時の記録によると、袁世凱総督もこの狗不理包子を食べて絶賛し、さっそく宮廷に持って行き慈禧皇太后(西太后)に献上したそうです。西太后は一口食べると顔をほころばせ、「こんなに美味しいものは他にない。これを食べたら長生きできる。」と褒め称えたそうです。これよって、狗不理包子の名声が大きく広まったそうです。
 天津では「狗不理包子」という看板を良く見ると思います。現在では、天津に限らず、中国各地にお店がありますので、気軽に食べることができます。狗不理包子は、日本のコンビニエンスストアで売られている肉まんよりも少し小さめの肉まんです。中身は、豚肉にネギや生姜を加え、独特のスープを加えてあります。皮は15℃くらいに保たれた水でしっかりと捏ね、均一の厚さにして8.5cmの大きさに伸ばします。これで餡を包むのですが、ヒダの数は15と決められており、白菊の花のように美しく仕上げなければならないそうです。この肉まんを専用の蒸し器で5分間、蒸すと、ジューシーで脂っぽくないアツアツの包子が完成します。



     外観です。



     創業者がお出迎えです。



    由来が記載されています。



     店内は、こんな感じです。



     これが噂の肉まんです。



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