三杯鶏

このページは、中国の食べ物を紹介していきます。

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更新日:
 2012年2月22日



◎三杯鶏(サンベイジー)
 鶏肉の醤油炒め。

 三杯鶏は、中国の江西料理です。その名の通り、鶏料理なのですが、もともとは酒、ラード、醤油の3種類の調味料を1杯ずつ入れて味付けをしていました。このため、三杯鶏と呼ばれていまです。現在ではラードの代わりに胡麻油が用いられているようです。調理中に一切、水を使わないため、これらの調味料で濃厚かつ、こってりした味に仕上がります。
 台湾では、誰もが食べる一般的な料理として普及しています。ただし台湾の三杯鶏は、ネギ、生姜などの野菜のほかに、バジルがたっぷり入っています。このバジルとはハーブ(薬草)の一種で、シソ科の植物です。日本名は、「メボウキ」と言い、英語で「バジル(Basil)」、イタリア語では「バジリコ(Basilico)」です。台湾では、「九層塔(チョウツェンター)」と呼ばれています。これは、バジルが葉を九層につけるので「九層塔」と名付けられたようです。
 通常は、鶏肉を土鍋に入れ、麻油、酒、醤油、そしてネギ、生姜などの野菜、トウガラシなどの食材を入れます。弱火で汁気を飛ばすと、美味しそうな香りが広がり、食欲をそそります。鳥の皮は滑らかでプリプリ、黄金色のタレをまとった鶏肉は、柔らかくジューシーで、塩気とコクに辛味が加わり、お酒のつまみやご飯のおかずにぴったりです。
 三杯鶏の由来としては、2つの説が有名だそうです。一説によると、昔々、現在の江西省贛州市寧都県に住んでいた貧乏な家に由来するものだそうです。親が重い病の孝行息子が、苦労して鶏を調達してきて、米酒、醤油、ラードを入れて、長時間煮込んで調理したそうです。その隣の家には朝廷の料理人が住んでいて、隣の家から流れてくる料理の良い香りに連れられて、この家にやって来たのだそうです。そして、煮ていた鶏肉をひとつまみ食べると、物凄く美味かったため、驚いたそうです。そこで、この料理人は、この料理をさらに改良することに取り組み、同量の米酒、醤油、ラードで味付けして完成させたそうです。このため、この料理を三杯鶏と名付けたというのです。
 もう一説は、南宋末期、宋に仕えた文天祥に由来するものです。13世紀、モンゴル帝国(元)が南宋に攻めて来た時、文天祥も戦ったものの敗れ、1278年に捕らえられ、大都(現在の北京)へと連行されたそうです。牢獄にいた時、厓山に追い詰められた宋の残党軍への降伏文書を書くことを求められたものの、「過零丁洋」という詩を送って、断ったそうです。
 宋が完全に滅んだ後、その才能を惜しんだクビライ・カーン(フビライ・ハーン)から、元に仕えるよう何度も勧誘を受けたものの、断ったそうです。当初は、文天祥を殺すつもりはなかったようですが、文天祥が生きているため、各地で反乱が活発化していることが判り、文天祥の死刑を決めたそうです。1282年、文天祥は南(南宋の方角)に向かって拝した後、刑を受けたそうです。クビライは、文天祥のことを「真の男子なり」と評したそうです。また、刑場跡には、後に「文丞相祠」と言う祠が建てられたそうです。このように文天祥は忠臣の鑑として後世に称えられています。
 この文天祥が処刑を待っていたある日、77歳の老婆が、鶏と酒の入った竹籠を持って彼が囚われてた牢獄に立ち寄ったそうです。すでに処刑されたと思っていた文天祥を見て感動した老婆は、いつ処刑されるか分からない文天祥に敬意を表し、持っていた鶏を切って、それを3杯の米酒が入った壺の中に入れて、火で炙って調理したそうです。文天祥は、亡国を嘆きながら、この差し入れを食べ終え、その後、処刑されたそうです。
 それ以来、文天祥の命日にはこの料理を食べることになり、後に、3杯の米酒が米酒、豚油、醤油の3杯に変わり、現在の三杯鶏の形になり、江西省の伝統料理として受け継がれていったそうです。このため、「三杯鶏」は、「文天祥鶏」とも呼ばれているそうです。





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